2010年4月30日金曜日

桜も散り 両崖山の新緑が目に眩しい 今年は変な気候だったが 漸く春本番になった。Winter is over and Spling has come これは私が1943年昔の足利中学校に入学して初めて習った英語である。その後徐々に戦争が激しくなり、英語の授業もかなり少なくなってしまったが、春になると幼い時に覚えたこも言葉がかならず口からでてくるから不思議である。人は自分の生まれた季節が好きになるらしい。私は7月生まれ だから 夏が大好き どんなに暑くても平気である、真夏の炎天下背中をながれる汗を物とはせずゴルフをしたものである、1月生まれの家内とは この点ではどうも意見があわない。街に出ると沢山の観光客が溢れている。一昔まえと比べると隔世の感をかんじる。数あるなか 足利をえらび お出でになるお客さまは 大切に接待しないといけないとおもいながら大日様を散歩してきた。足利っていいとこだなーとおもいながら。

2010年4月27日火曜日

ごみ収集業を現場としている従事者の方から話しを聞いた 最近ごみの量がかなり増えたらしい 袋が安くくなったので、みんなが分別をしなくなったということである。、また収集事業の経費節減をねらい入札制度を変えて、新に4社募集した結果 3社が群馬県の業者に決まってしまった、今までこの事業に携わっていた市内業者は、気の毒なことに、倒産の憂き目にあうのではないかと噂がとんでいる、まことに困ったことである。事業に新規参加した業者は足利市内は不案内 収集には苦労すると思う迷惑するのは市民、収集費が1億8000万浮いたなどと言って喜んでいるようだが 増え続けるごみを処理しなければならない経費はどうみているのか この際市の職員に聞きたいものだ、ゴミは 1トン当たり平成20年の資料によると、33,974円もかかる現実を注目すべきである。

2010年4月21日水曜日

久しぶり宇都宮に行った 二人の副知事に会うためである。初めて田沼の吉水のインター 正確には佐野田沼インターチェンジというが 北関道に乗った。きわめて快適に走れ20分ほどで 鹿沼に着いた。菅田に早くインターが出来ればとつくづく思ったもである、いよいよ足利が最後になってしまったという思いを強く感じた、昔ある首相が足利には議員が居ないからなーときかされたのを思い出したものである。インターができると正に街が変わる佐野市北部の変わりようには 目をみはるものがある、このままでは佐野に抜かれるのではないかと 怯えるほどである。こちょこちょ目先のことにとらわれていないで 大局的に足利市の将来を見据えてしっかり舵取りをしてもらいたいものである。 

2010年4月15日木曜日

惜しい人が逝ってしまった。体育協会会長の中村議一さんである、足高から中央大学と進み その間 バレーボールひとすじ 家業の中村米穀商を継いだ後は 早くから足利市のバレーボール教会の会長をつとめ、特に家庭婦人バレーボール大会の普及発展にはなみなみならぬ努力をされた方である。お蔭で両毛地区の大会は大変人気があり 群馬 栃木の各市から精鋭チームが足利に集まり毎年熱戦を展開するのである。今年も群馬から8チームの参加があり、30回を迎えた。残念ながら今年は中村会長は姿を見せなかったが、その体の大きい体で、いつもニコニコ笑みをたやさない中村さんが 忽然と黄泉の世界に旅だってしまった。バレーボールの仲間たちは大変悲しんでいた、私も弔辞をあげながら 涙をこらえることができなかった。中村さん さようなら、合掌。