2010年2月10日水曜日

2月5日 野木町に講演に行った。県内唯一の女性町長 真瀬さんの依頼があった。演題は県境に住んで、である。私の得意としているところでもある、あらかじめ県境と国の重要文化財に指定されている 昔、東京駅の煉瓦を焼いたことで有名な旧下野煉瓦窯 を視察してきた。県境には確かに家が建て込んでいるところがあった。どこが県境か判らない 足利の中川町と変わらない。煉瓦窯は久しぶり かって県議の頃来たことがある。流石風格がある。講演のなかで聞いたが、町おこしの中心に 煉瓦窯の修復を位置づけたが、文化財の補助事業の補助額が減ってしまって困ったと言っていた。昔は国が8割を見ていたが、今は5割 残りを県と町が、1対2 の割合で県のほうが少ないそうである。修復の総事業費が 6億円、町が2億円の持ち出しになる、これでは 大変だろう。野木町にも足利に見られるように 古河市と野木町から 固定資産税通知表が二枚くる家があると言っていた。県境に住んでいると、県が異なる隣町との比較がとり沙汰される、隣の芝生は青く見える、のたとえもある、それぞれの 「まち」がそれぞれに 良いところ があるはずである あまり気にしないほうがいいときもある。

2010年2月2日火曜日

 


第五代足利市長は赤土正強(しゃくどまさたけ)氏(1937-1944)だった。私が小学生の頃で子供隣組を
つくって活躍した際、頑張れよと 褒められた事があった、子供ごころに 市長に声をかけられたのがとても
うれしかったのを今だに覚えている。当時は 大門通り ばんな寺の前に住んでいたので 鎧行列が楽しかった。ある年赤土市長が威風堂々 緋縅(ひおどし)の鎧に身をかためて総大将で行進してきた 拍手をしていた私に手をふってくれたのである。幼いころの強烈な想い出である。あれから60年 私は11代の市長になった。はなしはあったが私は馬は遠慮した。歴代の市長が乗ってないし、警備も経費も大変、さらに上から見下ろすことは 私の意としないところでもある。明日の鎧行列馬が3頭でるらしい どんな気持ちで馬上ゆたかになるのか私には理解できない。